吐露

公務員の面接に落ちた。

 

それだけでなく、先に対する不安があると、両親に問いただされた。

どうして生きていくのか、今の就活が最終的におしまいになったらどうするのか。

 

こちらとしては、どうしたらいいかわからない。が正直な感想だ。

そう言ったら語弊があるが、事実は事実である。

 

まず、就活の仕方を考える前に、企業の探し方がわからない。否、わかるのはわかる。形式としてわかる。形式だけである。

 

企業を探すとき、たくさんの情報に対峙する。私は昔から、多くの情報と対峙するのが少し苦手だ。中学のときも、高校のときも。あやふやなたくさんの情報から、自分の必要な情報を取り出して、明確な形にして私の元に収めるのが苦手なのである。

 

これは、勉強の難しさとはまた違う。自分の直せない弱点のようなものな気がする。勉強の場合は、確実な定理や法則を手元に用意した上で、あやふやなものに対峙する。しかし、これらの就活や高校選び、大学選びの場合は、定理も法則も何もないあやふやな状態のまま、あやふやなものに対峙しなければならない。

 

これがとても難しい。

あやふやなものに対して何かを講ずるのが私は苦手だ。はっきり言えば。

バカだからとか、アホだからとか、頭が弱いからとか、そういった類ではない。おそらく。特性の一つだと思う。抽象的なものの概念を理解することはできる。けれども、骨組みもやり方も十人十色、千差万別であることに対して、まるで雲の中を進むように手探りで何かを行い、考え、予想し、予防線も張った上で、行動・挑戦を行うことができない。この言葉もあっているかがわからないのだが。

 

そして、ストレスにもめっぽう弱くなった。弱くなった、というかは、経年磨耗してきたという方が正しいかもしれない。

これだけ磨耗した心でどう頑張ればいいというのか。難しい。

 

私は、相談するのも苦手だ。何を相談すればいいかわからないからだ。よく、中学や高校の時に、「何がわからないかわからない」という人が多くいたが、まさにその状況だ。何がわからないかわからない、という場合は、知識がなかったり、いわゆる基本と言われる部分がわかっていない人が陥る現象だが、この場合だと、社会に出る上での基礎がわからないことになる。

あながち間違ってはいない。

 

の癖に、厄介なことに、厳しい言葉が返ってくることや、自分が攻撃されるであろうことは予想できるのだ。どうにもならない、本当にいらない能力である。

 

何がわからないんだろう、何が、どうしたら、わかるようになる?と考えることにも疲れる。何十回と発してきた疑問。答えは返ってこない。

 

おなかが痛くなる。そもそも、何にそこまでストレスを感じているのかがわからなくなる。私は、出来事にストレスを感じているのだろうか。それとも、人に対してストレスを抱いているのだろうか。それともその両方?

 

何を重視すればいいのだろうか。この世は難しい。本当に難しい。なぜ泡沫なんだろうか。人が活動している以上、企業も現象も泡沫になってしまうのは仕方のない話ではあるが、それだけに難しい。

 

如何にもこうにもお腹が痛い。風呂に入らなきゃ。書けば落ち着くかと思ったが、そう簡単な話でもなかったようで、辛くなってくる。悲しい。

自分で少し誇れる気がすること

赤ペン先生は雪の宿派です。

クーラーの風が恋しいけれど、お腹を壊すのが欠点です()

 

最近暗い話ばっかり書いてたので、今回は趣向を変えて。

 

前に自分はASDだーって診断が出て、うぉぉぉぉってまぁいろいろ調べてましたが、まぁ出てくるものがネガティブなことばっかりで、逆に「ここが幸せだと思ってる!」って話をあまり見なかった(当者比)ので、今回は自分が特性を持っててよかったなーって思うことについて話します。(主題が重複しているのは気にしない)

 

基本「へへへ///」って思いながら書いてる自己満記事なので、そこだけご了承くださいw

 

ASDの特性のおさらい】

ASDの特性として、三つの主な特性が挙げられていました。それが

・コミュニケーションの質の違い

・社会性の質の違い

・想像力の質の違い

で、代表的な困りごととしてあげられるのが

・相手の表情やニュアンスから、人の気持ちが察せられない

・社会の暗黙の了解がわからない

・こだわり癖が強い

・感覚過敏

などなどが挙げられています。

 

【特性について得したなって思うこと】

上記のような散々ことを言われる特性ですが、私自身としては、(どこがどこに当てはまってるかの自己分析はまだ完了していないものの)「これは持っててよかったなー」って思うことがいっぱいあります。

具体的に言うと、

・暗黙の了解や理屈のわからない常識を理解できない

・興味を持つ対象が少し特殊(当者比)

・興味のある話をとことんのめり込んで聴ける

・自分の言葉で話すのが苦手

・思ったことを素直に言える(どうあがいても嘘がつけない)

というのは、表記の仕方はネガティブな書き方になっていますが、私にとっては、人と付き合う上でとても助かっている特性たちです。

 

なぜなら、この特性たちのいいところは

・世間の声抜きで、個人の話が聞ける=私の理解しうる範囲でその人を理解することができる

・自分の好きな界隈の人から喜んでもらえることが多い

・他の人よりもたくさん人の話が聞ける=知識を得る機会が多い

・自分が嬉しい時、人に即座にストレートに伝えられるので、助けた人にも喜んでもらえる

というところがあり、これらは、私が世の中を理解したり、人と付き合う上で、信頼関係を結びながら生きる重大な役目を負ってくれます。

 

正直、いわゆる「普通の人」の感覚がわからないので、人間関係に関わることや世間の常識に関わることに対して、人に「どうすればいい?」ってアドバイスを求められた時に、なんて言えばいいかすごく困ることがあるのは事実としてありますが、その分、「普通の人じゃない」人の気持ちはものすごくわかるので、そういった人に相談してもらえたり、逆に自分が相談したりできる関係を築けるのは、とても嬉しいことだなって思います。また、その感覚を保ちながら、他の人とも接することができるので、その分、「人を嫌な気持ちにさせる」という率も少ないんじゃないかなと自負してます。

(嫌な思いしてたらごめんなさい。言ってください…)

 

また、社会性がない、と言っても、ある程度の倫理観は持ち合わせている(というより、自分の嫌な感覚を我慢してまで受け入れざるを得ないと思わせる理屈がない「常識」なり「暗黙の了解」が受け入れられないだけであって、自分がそれを守らないことで、誰かに悪影響が起こるということがわかる理屈があるのなら、その「常識」も「暗黙の了解」も受け入れられるんですよ。私の場合は。)ので、こんな自分のことを面白がって近づいてくれる人もいっぱいいますし、好んで一緒にいてくれる友達も多くはないですがいっぱいいます。

 

なので、なんというか、確かに困ったところはあるにはありますが、特性の組み合わせや使い方によっては、胸を張って自慢できるようなところもいっぱいあるので、「困らせそうなところはできる限り把握」しつつ、「誇れるところは、ずれててもちゃんと誇る」というのも、大事なのかなぁって思いました。

 

おしまい

 

追伸

感覚過敏で考えてみたけど、『推しの音楽やものをとことん愛でられる』っていうところしか言えるところがねぇなっていうことに気付いたので考えるのをやめた(?)

あ、あと言葉を少し大切に扱える、かも、しれない。

あとあと、言葉から受ける印象の深さ(情報量?)が段違いに多いのも、自分のお得な特性かもしれない(小説とか文読むときに楽しい)。小説は美味しい。

頭と心・体の速度の差が生むくるしさ

どうも。赤ペン先生は雪の宿派です。

ちょうど生理周期なのもあって、気持ちがかなりナーバスです。

 

今回は、自分の困っている中で、たまにキリキリとストレスになりがちなことについて書こうと思う。

 

自分の思考と実行の間には、たくさんの制約とそれによる矛盾を抱えがちだ。

 

まあ、誰しもそういうものだと思うが、自分の場合、その制約と矛盾性によく悩まされることが多い。

 

例えば、

人に無理をさせたくない、が、人に無理をさせないと私を保つことはできない

とか

好きな人とずっと一緒にいたいと思う、けれども、現実ではそんなことを誰も許してくれない

とか

誰かに助けてほしいけど、私は助けられない

とかかなり無茶苦茶なのだ。

 

特に、孤独な気分になった時と、誰かを助けたいと思った時は最悪である。

 

孤独な気分になった時、私は、誰かにそばにいてほしいと思う。けれども、その「誰か」は本当に誰でもいいわけではなく、私自身を理解してくれる人がそばにいることを願う。けれども、私自身は私を説明するのがとても苦手で、大抵あまり理解してもらえない。また、そばに誰かいると逆に気を使ってしまって疲れてしまうから、誰もこないことも同時に願ってしまう。かなり無茶苦茶だ。

こういう時の「さみしい」は、何も話さずともそばにいてほしい、ただそれだけなのである。でも、それが叶うことはない。この矛盾性に苦しむ。

 

また、誰かを助けたいと思った時、私は誰かを助けるだけの力がない。具体的に言えば、誰かを助けられるほどの知識や財力、瞬発力、身軽さ、そういうものがない。かといって、気の利いた言葉をかけられるわけでもない。せいぜい出来るのは、その人の問題が解決できることを願うことと、その苦しみを聞いて理解することしかできない。

これはこれでとても苦しい。見限ってしまったり、知らないふりをしてしまえばきっと楽になれるのだろうとは思う。しかし、そんなことができるはずもなく、私はやっぱり苦しむのだ。

 

あとは、人に甘えるのが苦手だ。具体的に言うと、うまいこと、相手の負担にならないようにタイミングを見計らって甘えるのが苦手だ。私は、相手の状況を察知するのが少し遅い。だから、相手がしんどそうなのにもかかわらず、甘えてしまうことがある。

これは、リアルで顔を合わせていないともっとひどくなる。相手から状況を説明されないと、状況を察知できなのだ。いうなら、相手の連絡頻度を鑑みて、「今は辛い時期なのかな」と察知することが苦手なのだ。

でもこういう時、私自身には「相手に無理をさせたくない」と強く思う気持ちはある。けれども、私自身もとても辛くなった時に甘えたいと思ってしまうので、「でもどうしても甘えたい」という気持ちが同居してしまう。

この矛盾を抱えたまま行動してしまうから、また相手を疲弊させてしまう。

 

 

他にも、「しんどいけれど、立場や作業上これを手放すことができない」「疲れたけれど、これを抱えざるをえない」「〇〇だけれど〇〇しなければならない」「〇〇したいけれど細かい事情で〇〇できない」こんなことばっかりだ。

 

結果、精神はストレスや作業で疲弊しているのに、いろんなものを抱え込む羽目になる。心は「こうしたい」と強く望むのに、体と現実が追いついてくれない。

 

もっと楽に生きられたらってとても思う。

矛盾性を抱えずに生きられたら、割り切って生きられたらどんなに楽だろうかと。

もっと身軽に生きていけたらどんなに楽だろうか。翼があるように軽やかにたくさんの物事をこなしていく人たちが、とてもとても羨ましい。

 

だけれど…作業の遅さは私自身の特性だし、そのせいでいろんなものに縛られてしまうのだとも思うので、諦めるしかないのだろうかとも思う。

 

頭では理解しているけれど、心が追いついてくれない。頭は理解しているのに、精神が追いついてくれない。苦しい。

 

追伸として、ずっと一緒に生きるか否か、という話があるが、それについても、私の抱える気持ちは複雑だ。

本音を言うなら、私は一緒に生きたい。けれども、もし相手が死にたいと言った時、果たして私に止める権利があるのかどうかがわからない。

相手の人が死にたいとなった経緯はきっといろいろある。話すだけじゃ伝わらないくらい辛いこともいっぱいあったのだろうし、命を終わらせたいと思うほど、生きるのに疲れてしまっているのだろうとも思う。

そんな人に、「私はあなたが死ぬと辛いから生きてほしい」なんて軽々しく言えるだろうか?私が辛い、ただそれだけで、さらに疲弊してくださいなんて言えるだろうか?

 

そんな矛盾性が辛い。「私は辛い」を人に素直に伝えることが、許されることだと思っていないから、とても辛い。

 

備忘録の補足

 

abemikuwosukore.hatenablog.com

abemikuwosukore.hatenablog.com

 今日昨日で書いた、この二つの記事の補足です。

 

【知能検査の方の補足】

受けた検査はWAIS-Ⅲです。

心療内科や専門の機関で受けることができます。

詳しくは「知能検査 受け方」的なワードで調べるか、住んでいる市の健康推進課の方まで聞いてみてください。

 

長々と書いてましたが、母さんたちがいい表現をしてまとめてくれてたので、ここに載せておきます。

「言語で情報をめちゃくちゃ収集するのが得意やけど、それを外に出すのが苦手」

「情報はめちゃくちゃ吸収するけど、それを言語で人に伝えるのが苦手」

「頭では理解してるけど、体が追いついてないって感じ」

「スポーツだと、理論は理解してるけど、うまく体を使いこなせてないっていう感じ」

 

インプットは得意だけど!!!!アウトプットが!!!!苦手なんですね!!!うええ・・( ;▽;)

 

ASD系について】

正直、自分でもまだまだよくわかってないので、また後日先生に聞きに行こうと思ってます。

とりあえずは、

・焦ると混乱する

・怒鳴られると混乱する

・『察して動いて』っていう指示を実行することができない(フリーズする)

・考えにも固執しがちだし、選ぶ選択肢も過去のパターンに固執しがち

っていうのが、この先起こりうる困りごとだと思われます。

 

なので、やたら集合時間とか準備とか周到に聞いたり、急がなあかん時にわたわたしてることが多いと思いますが、そういう時こそ「確実に、ゆっくりと」「しなきゃいけない具体的なこと」を提示してもらえると、落ち着いて指示どうりに動きます。

 

 

 

 

あとは、また先生やカウンセラーさんに聞いて、ちゃんとわかって情報が整理でき次第、またまとめを書こうと思います。(何回まとめでるんやこれ…)

それでは今回はこれで。

備忘録 ASDと自分の中にある特性について

備忘録の使い方これであってる?????

忘れるのに備えて記録するものやからあってるよね????

 

 

※以下は、自分が調べて自分の認識してる範囲の特性(?)と比較した上で、自分の場合にのみ当てはまる事項として考えたものです。本来この障碍は、人の数ほど特徴に違いがあるのが特徴みたいなややこしいもので、断定的な表現が多いと思いますが、これが全てではないし、自分の解釈も間違っている可能性は十二分にあります。なので、『「こんなことかな」って思ったよ』っていう報告程度なものだと思ってください。ってか、思い込み激しくなる悪いとこあるから(後術すると思うけど)説明ちゃんと受けたいし、受けなおしたほうがいいかもしれない?どうしよう迷う。

 

参考物:

【図表でわかる!】asd(自閉症スペクトラム・ア

asd

 

【3つ組の障碍(抜粋)】

・社会性の質の違い…周囲の人と関わる時に適切に振る舞うのが難しく、相手と関係を築いたり維持していくことが難しいという特性。暗黙の了解や慣習的なルールを理解できなかったり察せれなかったり、それに従うのが難しかったりなど。

 

・コミュニケーションの質の違い…相手が思っていることや感じていることを理解したり、相手が言いたいことや感じていることを相手にわかりやすく伝えたり、表現したりすることが苦手。

 

・想像力の質の違い…自分が見たり予想していた以外の出来事や成り行きを想像するのが苦手。自分の興味のあることや心地よいパターンの行動に強いこだわりがあり、想定外の行動をとることに抵抗を示す。

 

『空気を読むのが苦手・伝えたいことをうまく伝えるのが苦手・情報の受け取り方が独特・こだわり行動がある・細かいところが気になりすぎる』

が主な症状ですね。

 

 

【自分の特性に照らし合わせた話】

考慮材料: 

abemikuwosukore.hatenablog.com

 ・社会性の質の違い

 

・世間一般の「常識」を受け入れられない。知らない。

・相手との距離感の取り方がわからない。苦手。

・久しぶりに会った人に対しての接し方がわからない。戸惑う。

・苦手な人を割と徹底的に避ける傾向がある。

 

 のちのこだわり癖にもつながってくるけど、「自分の嫌な感覚に触るものは断固として受け入れたくない」という傾向がある。「世間一般ではそれが守られているらしいことは理解はしてるけど、私は死んでも無理」状態。人に迷惑はかけないのに変えなきゃいけない理由がわからない。っていう言葉で拒否する。

 

 あと、恋人や友達、家族でさえも、会うのに時間が経ってしまうと対応の仕方がわからなくて挙動不審になったり、声をかけられなくなったりする。嫌いになったとか全くそんなことはなく、例えるなら「起動の遅いパソコン」みたいな現象が起きてる状態。

普段通りに接してくれれば徐々に慣れてくるので、温かい目で見てくれると嬉しい。あとは、連絡が繋がってる人であれば、ぜひ「見かけたらこんな風にしてくれると嬉しい」っていうのを伝えてくれると、とてもありがたいです…。

あとできるだけ気をつけてはあるけど、知らないうちに不快にさせることがあるかもしれないので、その時は言ってもらえると、できる範囲で気をつけます…(言葉遣いとか関わり方とか)

 

 

・コミュニケーションの質の違い

 

・考えていることを簡潔にまとめて言えない。その場でのまとまった説明が難しく、こんな風に文書にすると説明しやすくなる。

・とっさの会話ができない。いわゆる「機転を利かせた会話」が難しい。

・感情・感想・自分の現状をうまく説明するのが苦手。説明するのに時間がかかる。(言葉を選ぶのに時間がかかるっていう意味で)

・入ってくる情報に対して、独特な処理を施してるらしい。(感覚的に)

・たまに、皮肉や嫌味にその場で気づけない時がある。

 

考える能力は高いので、基本言われてることは理解できてます、し、「多分こういうことが言いたいのかなぁ…」っていうのも察知する能力は多分高いです。皮肉とか嫌味も、言われることが多いのでかなり気づくことの方が多いです。

が、それに対してその場で反論したりすることが苦手です。いわゆる「サンドバック状態」になりやすいです(反論しないからといって、何も思ってないかと言われると大間違いって感じです())。なので、喧嘩や論争をするとき、勧誘を断るときに、こっちの気持ちが言えなくて傷ついたり悔しい思いをすることが多かったり、なかなか振りきれなくてかなり困ることがあります。

 

あと、『独特な処理』の部分ですが、どうやら自分は、人の話や新しい情報を自分の中で考えたり把握する時に、自分の過去の経験や感情、過去に読んだ本やネットの知識・言葉、あとはよくわからない諸々と結びつけて考えながら理解してるみたいです。そこまではみんな当たり前かもしれませんが、自分の場合、その経験や知識を活用して考えることの範囲がとても膨大で、かつかなり深くまで潜り込むことができるみたいです。それゆえに、その中から必要最低限のものを探し出して、表面に出すのが苦手で、かつ時間がかかるみたいです。なんというか、『途方も無いほどある思考の奔流をまさぐる』感じでしょうか。

会話全部がそうかと言われればそんなわけがないんですが、説明を求められたり意見を求められるとそんな状態になるので、そこが少し困りごとかも。

 

結局処理速度が遅いので、対処法とするなら、『論争や討論・感想の言い合いをするとき』だけは、会話テンポをゆっくりにしてもらえるとありがたいです…。

あとは、「とっさに」っていうのに非常に弱く、思考が停止するので、「何をするか」を簡潔に言ってもらえれば脳死状態で従えるので助かります。

 

・想像力の質の違い

 

・顔や肌に何かを塗布するのが無理。特に顔。

・知識に関連付けられないものは理解できない。覚えられない。

・できたパターンに固執する。できないかもしれないことに対する恐怖が強い。

・細かいことがきになり、全体が見えなくなることがしょっちゅう起こる。思考でも行動でも起こりやすい。先の見通しつけるのもとても苦手。(特にこれに困ってる)

・「こうしたらどうなるか」を経験しない状態で想像することが困難。

・音、色、寒さ、感覚に対してかなり敏感。激しい色と、不快な音に対して特に強い拒否反応を示す。寒さは集中ができなくなる程度。

・自分がコントロールできない予定変更、に弱い。

 

…他に多分いっぱいあるかも()

この項が一番苦労してる。

人のことはある程度理解できるし、なんとかコミュニケーションも頑張ったらできるけど、ここは制御が本当に難しくて、自分の努力じゃどうしようもないです…ってレベル。特に「思考や行動の固執化」と「全体が見えなくなる」の部分については、文章を書いたり何かを生み出す上でも非常に困るから、何か対策はないかを聞きたいほど(でもそれを採用するかどうかも、変に頑固なので難しい)。

ある程度、やることを書き出してやらなきゃいけんことを目で見えるようにしたり、(時間のあるやつなら)時間を空けて文章を見直したり、人に確認してもらったりすることはするんやけど…。会議とか苦手…。無理…。

 

あと、色に関しては、見ないようにできるから見ないようにしてる。

音も、ある程度自分で防御はしてるので、それで錯乱したり…っていうのは全くないけど、会話や物事をしてる最中でも耳をすぐに閉じようとする。あと、人の怒ってる声・怒鳴り声もかなり苦手なので、自分に向けられないように動くし、向けられたら固まってしまうし混乱するし怖いし、その人に関わらないようにしようとする。だから怒鳴らないでください…。お願いします…。(ただ、怒鳴り声と歓喜の声の違いくらいは判別しているので、そこは安心してください)

 

【得意なこと・苦手なことのまとめ】

得意なこと

・「常識」を抜いた上で人の話を聞ける

・情報に対して、かなり深く、かなり膨大に考えて、接することができる

・「未知のもの」「未経験のもの」を知りたい・経験したいという欲はとても強い

・細かいことによく注目できる

・経験している範囲で、急を要さないレベルでは、何が起こっても混乱しにくい

 

苦手なこと

・久しぶりに会った人と自然に接すること

・機転を利かせた会話(とっさに芝居を打たなければならないような会話)

・意見・感想・説明を『すぐに簡潔に』伝えること(ただし、少し時間をもらえればまとめることはできる)

・顔に何かを塗ること

・人の怒鳴り声・怒声・怒っている声

・全体を見通しながら物事を行うこと(マルチタスクも)

・パターン・思考の固執化から脱すること(特に経験や知識に結びつけられないことに対する想像力は非常に乏しい)

 

 

自分もできるだけメモを取ったり、やることを書き出したり、まとめて伝えるように工夫したり色々努力はしますので、ほんの少しだけ「これが苦手なんだなー」っていうのを知ってもらえると非常に助かります…。(甘えかもしれませんが…)

備忘録 知能検査の結果

赤ペン先生は雪の宿派です。

 

今回は備忘録的な意味で検査結果のあれこれを書いていこうと思います。

※ここからは自分の中の整理も兼ねているので、文体の揺れが見られます。ご了承ください。

 

【数値など】

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全検査IQより、全体的な知能は平均。

一般の人と同じ程度。

 

言語性IQと動作性IQの数値の差が28あり、能力の差で困難を感じると判定されるレベル。

 

群指数別にみると、言語理解が全体の中で高く、逆に処理速度が低め。

この数値の差が32あるため、「頭では理解しているが、体が追いついてくれない」という状態が引き起こされる。

 

下位尺度では、理解の数値が非常に高く、ついで単語・類似が高い。一方、積木模様が非常に低く、ついで数唱が低い。

空間認識能力が非常に低く、逆に言語の語彙量や言語概念についての能力が非常に高い。

地図読まれへんのんはここからかぁ…。図形問題も苦手やなそういや()

 

【得意・不得意欄から】

・すでに獲得している知識を使って考えることは得意。一方、初めての経験・慣れていない場面に対する、周りの状況を用いての判断や素早い適応が苦手。

団体の中にいた時に、周りの動きに対して自分が何をすればいいのかがわからなくて、とても苦しかったので、心当たりはある。中学の時に、友達がわからないって言ってた問題を教えるのは得意だったので、たぶんそれもここからきてるのではと考えられる。自分が体験した・経験したことに関しては確かにスラスラ答えられるし、説明もできる。新しいものに会った時に、自分の経験とか知ってるものに当てはめる癖はある。

 

・抽象的な言語概念を活用したり、言語を用いて思考することは得意。一方、言葉で簡潔に表現するのは苦手。

「頭ではわかってるのにうまく出力できない」の部分にほぼ直接的に当たりそう。概念的なものや何かの説明を求められた時に、短く説明することができなくて長くなってしまったりするのはここか?あと、会議の時に、考えはまとまってるのに、発言が長くなってしまって困難になるのもこれかも。「自分ではわかってるのに、適切にそれを表現できない」って感覚が正しい?自分の思考感覚と相手の思考感覚の違いに戸惑ったりとか。

 

・単純な視覚情報を正確に判断して素早く作業することが苦手。(「見て書くこと」が苦手)

板書の遅さとか、行動の遅さに起因するかも。見て書くのが遅い自覚はある。「もっと早くメモしたいのに、自分の手の動きが遅くてイライラする」って感じ。「見て書く」の意味が気になるな…

 

・目から入る視覚情報を論理的に分析することが苦手(細部に注目するあまり、情報全体を見ることがおろそかになる)

これはなぁ…心当たりがいっぱい…。模写ができなかったり、レポートの時に言ってることがわからなくなってきたり、「一部を見れば完璧やけど」っていうのが多かったりとか。あと、目で読んだりしたものをこうやって書かな理解・整理ができやんのも当てはまるとこやと思う…

 

・その場限りの情報・指示や自分にとって意味のない情報を記憶にとどめておくことが苦手

苦手なものとか、自分に関係ない人の誕生日とか情報覚えるのめちゃくちゃ苦手。というか覚えられへんのはここからかと。英単語とかほんまに滑っていくし。自分に関心のないことについては覚えるのに苦労する。メモはするなだから…。メモすることで覚えるっていうところもあるけど…。

 

【対応 から】

・素早く作業するのは苦手なので、時間にゆとりを持ったり作業量を減らしたりすると良い。

処理速度が遅いところから来たものかな?一個一個の作業に時間がかかるのもここからきてたか。仕事とかも、時間にせかされへんようなものがいいかもしれない。あと、よく「計画立てても、時間がかかって計画倒れする」ことがとても多いから、時間を多めに見積もって計画は立てた方がいいかもしれない。焦るとますますできなくなるから、それも踏まえて。仕事をするときは、早め早めに仕事を回してもらって、できるだけ締め切りまでの時間が長くなるようにしてもらった方がいいかもしれない。

 

・ある一つの面や細部に注意が向くと、他のことや全体に注意を向けにくくなる。なので、やるべきことが複数ある場合は、優先順位をつけて一つ一つする、また、全体を完成させられるように細部にこだわりすぎないように注意する。

こだわりすぎの部分にもあたる話かと。優先順位をつけて一つ一つするのは守ろうかな。マルチタスクができない人間なのかと思われる。大学2年の時は先輩に「マルチタスクができるようになれよ。訓練しろ。」って言われて、軽く絶望したことがあったっけ…無理やってって思った記憶がある。細部にこだわりすぎないように注意するのはどうしような…。ある程度「このラインなら大丈夫」ってラインを決めて、それを守るってことかなと思うけど、「このライン」を決めるのと守るのが苦手なんだよな〜〜〜〜(だから守れってば)

 

・聞いたことを忘れないように、自分の関心や経験したことに関連付けて覚えるようにする。また、メモをとる習慣をつける。

これは…癖付いてるところも少しあるかな?できるだけ経験と結びつけて覚えるように、やね。そのためにも、経験を増やしておいて、覚えるための引き出しを多くする必要もあるかも。関心の幅を広げることも大事かなと思うけど、多分難しいので、せめて知的好奇心というか、「知りたい」って気持ちは忘れないようにする必要がある。あとは、できるだけ関心を持つ頻度を高くするとか?メモをとる大切さはひしひしと感じてるので頑張ります。メモを見返すことで頭に入るし、メモすることで、経験したことになって頭に入るっていうのもあるし。

 

・簡潔に説明することが苦手。なので、他者に意見を求められた時は、「少し時間をください」と言って、情報を整理して考える時間をとるようにしたらいいかもしれない。

難しいわね…。処理速度が遅い、つまり、頭の回転が遅いから、思考速度も遅い。情報をまとめるのに時間がかかるから、時間をもらうってこともあるかな?一対一の会話の時はこれができるけど、大人数の会話になるとこれも難しい…ってそうか。だから会議が苦手なのか()頭の動く速度が遅いから、情報の処理に時間がかかるのか。「now loding」の時間が長いのか。会話の時も遅くなるのは、相手から受信した情報を処理するのに時間がかかるのね…。簡潔に説明するのが苦手なのはどこからきてるのかな…。んん…。うあああわからん。。。

 

【紙に書いてないこと】

・耳から得た情報を処理する方が、目から得た情報を処理することよりも得意。

意外。え、会話とか苦手なんやけど????んー…でも、音は好きかな…人の顔よりも声が好きやし、文字をずっと見続けるのもたまに辛いし…。えーでも意外。「目で覚える」っていうのは確かに苦手やし、目で読んでて頭に入らん時は確かに声に出して読んでるな。ほぼ無意識的に…。え…?独り言とかも…?声に出して話した方が確かに整理しやすいことの方が多いし、ってか、混乱してほんまにわからん時は声に出しながら確認するし、ってか確かに過ぎること多いな??????なるほど????

 

【診断について】

主訴と親の話から、診断するならASDであるとは言われた。

あと、不注意の部分が出てるから、ADHDも混ざってるとも。

手帳も取ろうと思えば取れるけど、日常でどれだけ困っているかによって等級が分かれてくるから、取るなら通院がいる。

今はとりあえず保留にして、通院がいるかなとなってきたら予約するようになった。

次のカウンセリングの時にこの結果持って行って、そこの人とも話ししてみようと思う。

どんな支援が必要か、支援が欲しいかどうかは結局自分で決めることなので、話も参考にして決めたい。

薬物治療が必要、とまでは私自身も思ってないから、それ以外何があるかよね…治療の方針(今後の方針?)の立て方がわからんのがちょっと難点かな…。公務員の試験が終わるまでは保留でもいいかもしれない?難しい。面接の時にも苦労するかな…。

 

【まとめ】

・知能検査では、能力に大きな差が見られた。

・言語で思考する能力は高いけど、簡潔に説明することが苦手。

・知ってることを使って考えるのは得意やけど、知らないことにすぐに慣れるのが苦手。

・素早く作業したり思考したりするのが苦手。

・細かいところに気をとられると、全体を見るのが難しくなる。

 

なので、

・作業をするときは、時間を多めに見積もる。ゆとりを持つ。作業量を減らす。

・やることが多い時には優先順位をつけて、一つ一つする。細かいところにこだわりすぎない。

・メモする習慣をつける。

・聞いたことを忘れないようにするときは、自分の経験や関心に関連付けて覚える。

・他者に意見を求められたら、相手に少し待ってもらって、自分の中で整理して考える時間を作るようにする。

 

と、生きやすいかもしれない。

 

ASDと若干のADHD傾向がある。

なので、その特性を理解して、活用できるように将来を考える。

支援が必要だと思ったら先生に相談する。支援は取ろうと思ったら取れる。自分の得意なことを伸ばして、苦手なことは回避することも大事。

とりあえず、学生相談室の先生とも話ししてみて、どうするのか考えようと思う。

 

【余談】

言語理解がこんだけ高いなら、校正とかもいいなぁ…。

合いそう。(でも、締め切りとか時間の制約が強いから難しいかな?)

公務員の試験が終わったら検討してみようかな…。派遣社員が多いみたいやけど、月収は悪くないんだよなぁ…。(生涯収入は減ってまうけど…)

 

終わり。

『最期の旅路』の考察・解釈・感想などなど

※注:この記事は、以下の動画を見て感じたことを書いたものです。鈴の音と練りに練られた歌詞がとても胸に刺さる良い曲なので、ぜひ。

nico.ms

 

 

 

赤ペン先生は雪の宿派です。

今回は、この前に友達がオリジナル曲を投稿してたので聞いてみたところ、あまりにも好きすぎたので、勝手に考察というか、解釈というか、想像したものなどをここに書いてみようと思います。(友達に送りつけてもいいけど、かなり長くなるし流石に気がひけるから送ってやんないw)

 

【歌詞の考察】

動画のコメントで掛言葉や場所の解説が乗っているので、ここでは歌詞に沿って自分が考察したことを書いていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ここから先は自己解釈です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (太字:歌詞)

【一番】

西国古道 巡礼道

隣にいた妻はもういない

楽しみにしてた 行き先は

果無飛鳥 そして橋立

- 今歩いている場所の説明と自分の状況が語られている。 生前妻と楽しみにしながら「行こうね」と話していた行先は、果無、飛鳥、そして橋立である。二人は旅好きなのだろうか?仲の良かったことがよくうかがえる。 -

 

 

福崎で仆れた 想いを懐に

谷汲までの先達を務めん

病に侵されて 先は長くない

人生最期の旅路 寂かに進む

- 福崎で仆れ、命を失った妻の想い(これがのちの小さい伏線になる)を懐に入れ、谷汲まで決意を胸にしながら静かに歩く場面。

先達は、『案内人』や『信者が修行のために山に入る際の指導者』などの意味を持つが、今回はなんとなく前者の意味を持っているように感じる。(西国古道自体は、修験者が修行のために寺を回るための山道のことを指すと考えられるので、その意味で考えれば後者の方が正しいのであろうが…んー…)

彼自身も病に侵されてしまい、この旅が最期になることを悟っている(もしくは、この旅を最期にしようと決めているのかもしれない)。「静か」を「寂か」と表記しているところで、老人の一人静かに寂しげに歩いている様子が目に浮かぶ。 -

 

 

残された私はどこへ行くの

沈みゆく夕陽は御霊焼くの

茅の宿いつもよりも広く

残された時を一人思う

 

- 掛言葉が続くところであり、個人的にもリズムが良くてとても好きなところ。

どこが何に掛かってるかは動画コメ参照。

「沈みゆく夕陽は御霊焼くの」というところに、宗教っぽい空気が漂う。

時間軸としては、妻が死んだ後葬儀(葬い?)を済ませてすぐに泊まった宿か?

一人歩く老人の漠然とした不安と一人で死にゆくことへの恐れ、「旅の中で死にゆくのだろう」という思い、そして、今までは共にいた妻がもう今はいないことに対する孤独感が感じ取れる。 

個人的に前半二文が、神秘さも纏っててとても好き。 -

 

【二番】

懐に文をしたためて 出師表とする

身が持つ限り恩に報いんと

なれば妻が行きたいと言った橋立まで

懐の遺灰撒きに行こう

 

- 老人の決意を表す歌詞。

出師表とは、臣下が出陣する際に君主に奉る文書のことであり、諸葛亮孔明劉禅に送ったものが有名で、その悲痛な決意は「これを読んで泣かないのは忠義の士ではない」と言わしめられたほど。

話が逸れたが、この歌に出てくる老人は、非常に妻を愛していたことが歌の端々から感じ取れる。したがって、この出師表は、今は亡き妻に宛てて書かれたものであり、その中身は「自分の身が持つ限り、妻であるあなたへの恩に報いよう」という決意が書かれたものであるとここの歌詞から予想される。ここからも、老人が妻を深く愛しており、また共に生きてくれたことに対して深く忠義を感じていることがうかがえる。また、その恩に報いるために、生前行きたいと言っていたところまでは必ずたどり着こうという悲痛な決意は、非常に胸を打たれる。(正直この歌詞だけでも泣ける)

また、ここで出てくる「懐の遺灰」は、一番で出てきた「福崎で仆れた妻の想い」にあたる部分であると考えられ、また、出師表ももしかしたら、この遺灰に一緒に包まれているのかもしれない。-

 

紀伊の山々も 瀬田の唐橋

妻と歩んだ一期の茨道

野分の爪痕は 時代の道標

時を違えた私はただ朽ちるだけ 

 

- 前半は妻と一緒に巡った場所を走馬灯のように思いかえしており、後半は山中で見つけた野分(=台風)の災害の跡を見ながら、自分の命が刻一刻と短くなっていることを実感する歌詞になっている。

台風の災害の爪痕は、おそらく倒木がそのままになっていたり、落石がそのままになっていたりするところを指しているのだろうと思われる。奈良時代のあたりは、大きな災害が起こると、それが静まることを願って元号が変えられたことから、大きな台風災害の跡を『時代の道標』と表現しているのではないかと推測する。しかし、現代ではそのようなことは当然行われないので、「(そのような時代とは)時を違えてしまった私」は、ただ老いて朽ちていくだけだ、と半ば諦観しているのだろうと思われる。 -

 

大江山 神が宿る颪

成相まで私を導いてく

妻の最期の願いを叶えてと

一言祈って山を下って行く

 

- 語句の説明は動画コメ(ry

大江山に「一言祈れば必ず願いを叶えてくれる寺」があるのか否かはわからないが、神とこの寺は結びつきがあると思われる。

「妻の最期の願い」が何であったか、というのを考えると、今までも「橋立へ行きたい」と言っていたと歌詞の中で述べられていることから、橋立へその身と一緒に行くことであると、予想されるが、真実がどうなのかはこの老人と作者のみが知っていることである

個人的には、ここが一つ、彼がもうすぐ力尽きてしまうかもしれないという暗示を示している箇所なのではないかと推測する。(ここからはなんとなくの話であるが)神が宿る颪、という歌詞には、「願いを叶えてくれる神」以外に、死者である『妻』が含まれているのではないかと思うのだ。なのでわたし的には密かに、この山を下ることで、彼は神の験力とともに、妻の魂も降ろして歩いていくのだろうと思っている(し願っている)-

 

【三番】

鴎は空を舞い 人は地に根付く

空を飛べれば妻のいる国に近づけるだろうか

 

-鴎は海の近くで生息することから、文学などでは「海が近づいてきた」ことを暗示するために使われるが、ここでもその意味で使われていると考えられる。あとは、個人的にこの部分を聞きながら『朝のヨット(山川方夫)』の話を思い浮かべていたが、この鴎が妻の魂や死の暗示を委ねているとするなら、それはそれでとてもそそる。

妻のいる国、というのはおそらく天国(極楽浄土?)を指していると考えられるが、ここから、作者が神道的よりは仏教的な宗教観を前に押し出している、というような感覚を覚える。というのも、神道では死者の国は「黄泉の国」にあたり、土の下にあると考えられているのに対し、仏教では土の下は「地獄」であり、天上に極楽浄土(いわゆる天国)があると考えられているからである。ここでいう「妻のいる国」は、「死者の行く国」であり、かつ「善行を行った魂が行く、空の上にある場所」として捉えられていると考えられるため、『善・悪』の区別があることや死者の国がある場所のことを考えると、多分、仏教側の考えになるのかもしれないなぁと個人的には思っている。(多分このあたりに詳しい人が見たら「違うよ」って言われるかもしれない)-

 

煌めく海は 黄金色に染まり

成相から私を導いてく

懐の四枚の金が鳴った

九世戸は空を漂ってた

 

-橋立にたどり着き、老人が死んでしまう直前に海を眺める場面。

語句の解説は動画(ry

天橋立は神のいる国へと続く橋であるという伝説もあることから、老人の命の火が消えようとしていることが歌詞の端々から伝わってくる。曲も壮大になっていることからも、クライマックスの予兆であることがうかがえる。

「四枚の金」は、(作者(友達)に聞いたところ、「納経帳が関係あるよ」と言われたが、書くと面白くないのであえて詳細は伏せておいて、別の個人的な解釈を載せておく。)終いの鐘」とも捉えられ、(「九世戸(天国の意味)」という語が来ていることからも、)橋立にたどり着いた瞬間に老人が絶命してしまうことを暗示しているとも考えられる。-

 

架かり行く堅洲への橋立

この命も月日のこぼれ種

薄れゆく意識の中叫ぶ

さらば現世妻との思い出よ

 

- 老人の絶命間際。語句の解説は(ry

「この命も月日のこぼれ種」という部分は、解説では実際にあった有名な俳句の一文から取ってきていると書かれていたが、個人的には、老人自身が自分の死を悟り、「自分の命は、所詮長い月日の前で見ればちっぽけで、儚いものなのだ」と時間・自然に対する自分の命の儚さ・無力さを諦観して出た言葉なのではないだろうかと考えている。

また、「薄れゆく意識の中」叫んだ言葉は、胸に強烈な痛さを覚えさせ、この老人に対して追悼の意を覚えさせてしまう。

正直ほんまにここ泣きそう。何回聴いてもきっつい。-

 

次の世でもお前を愛したい

 

- 現世を離れる最後に発した、来世でも寄り添いたいと願う老人の妻への愛の一言。天国から迎えに来た妻に言ったのか、それとも妻の願いを叶えて満足して死んでいった老人の独り言なのかは定かではないが、どっちにしても無理。ほんまに無理。胸が締まる勢い。-

 

共に歩もう谷汲までの道

-個人的には、天国で妻に会えた老人が、橋立を妻と眺めながら語った言葉であると信じてる。もうもはや解釈でもなんでもない。 -

 

 

以上、歌詞の考察・想像したイメージ・コメントなどなどを書いてみた。

最後もはや解釈もくそもなくなってるけど気にしない()

 

【おまけ1:投稿者コメについて】

動画説明欄を見てみると、「このテーマは、別れであり、矛盾であり」と書かれている。

(シリーズ化してくれてないのでわかりにくいのだが)投稿主は、彼自身の中で密かに「別れ」をテーマにした楽曲シリーズを考えており、今回は、その中に含まれる一曲であると考えられる。

 

今回この老人は、現世、つまりこの世とは確かに離別した。また、自分が死ぬ前に妻と死別を経験しているのだから、そういった意味では「別れ」を表しているとも考えられる。しかし、この曲最後の歌詞を見ていると、彼はあの世では妻と再会したのではないかとも捉えることができる。そう考えると、この老人が死んでしまったことは、「現世」との別れではあるが、同時に妻との「再会」であり、また、あの世での旅路、来世への旅の「始まり」であるとも考えることができる。

 

そう考えると、投稿者コメの「矛盾」というのは、『死とは、別れの意味で捉えられることが多い。しかし、また同時に故人との再会の時でもあり、また来世への旅の始まりでもある』という矛盾性の部分に言及されたものなのではないか、と推測できる。

 

あくまで推測なので、ここまでのことを考えているかどうかはわからないが…(けどあの人ならもしかしたらこれ以上のことを考えているかもしれない)

 

【おまけ2:この老人における旅の意味】

曲を聞いてから投稿主である友達に感想を送っていたら、その会話の中で友達からこう告げられた。

 

「実はこれ、丹後国風土記の中にある、イザナギイザナミの話を基にして作ってるねん!」

 

おそらく、「イザナギが、妻であるイザナミが死んでしまったことに耐えられず、黄泉の国まで妻を迎えに行き、現世に連れ帰ろうとする(が、現世に辿り着く直前で失敗してしまう)話」のことを指している(詳細は各自ググってください)と思われるが、いやこれその話でここまでの曲が生まれるとかどういう思考回路してるんや好き(友達ばか)

 

その話から、もう少しだけ考えてみる。

 

先ほど曲の解釈(考察?)を書いたところでは、「老人はこの旅が最期になると悟っている」と私は書いた。しかし、丹後国風土記の話を基にしたのと考えるのなら、おそらくこの老人は、死んだ妻に会いに行くために、この橋立までの最期の旅に出た、つまり、『最初から死にに行くつもりでこの旅に出たのではないか』と考える方が正しいかもしれないと思われるのだ。

 

そう考えると、老人がこの旅で抱いていた願いは叶えられたことになる。

妻の願いを叶えて、と老人は神に祈ったが、その言葉の裏には、自分自身の「妻に会いたい」という願いも込められていたのではないか、そして神は、その願いどうり、妻の「夫と橋立が見たい」という願いも、老人の「妻にもう一度会いたい」という願いも叶えたことになるのではないか。

 

しかし、この結論に至る前に一つ難点がある。それは、大江山で出てきたこの寺は、「一言で願われた願いを叶える」と言われている点である。妻の願いも老人の願いも祈ろうと思うと、どうしても一言では収まらない。と考えると、この願いを神に祈っていた時、実は… って考えると、もっと味が増してくる気がする。あくまで私自身の勝手な解釈だが。

 

 

…と、ここまでつらつらと考察や解釈、想像、感想を述べてきたが、人によって捉え方は千差万別であり、この解釈が必ずしも正しいというわけでは決してない。(実際多分どっかおかしい気もしてるし)また、投稿主自身、「伏線をあえて回収しないようないろんな解釈の余地を残した曲」を作るのが好きとかいう若干意地悪ところがあるため、いろんな解釈で溢れることを願っていると思う。それのどこかが投稿主の琴線に触れたなら、それこそ作者冥利につきるといったものだろう。

 

なので、あなたも、ぜひいろんなことを考えながらこの曲を聞いてほしい。願わくば、その考察とか述べてもらえれば、とてもとても嬉しい。

 

【追伸】

個人的に思うけど、恋人がいたら、こんなことを言い合えるような最期を迎えられるような関係でありたいなぁって強く思う。