吐露

公務員の面接に落ちた。

 

それだけでなく、先に対する不安があると、両親に問いただされた。

どうして生きていくのか、今の就活が最終的におしまいになったらどうするのか。

 

こちらとしては、どうしたらいいかわからない。が正直な感想だ。

そう言ったら語弊があるが、事実は事実である。

 

まず、就活の仕方を考える前に、企業の探し方がわからない。否、わかるのはわかる。形式としてわかる。形式だけである。

 

企業を探すとき、たくさんの情報に対峙する。私は昔から、多くの情報と対峙するのが少し苦手だ。中学のときも、高校のときも。あやふやなたくさんの情報から、自分の必要な情報を取り出して、明確な形にして私の元に収めるのが苦手なのである。

 

これは、勉強の難しさとはまた違う。自分の直せない弱点のようなものな気がする。勉強の場合は、確実な定理や法則を手元に用意した上で、あやふやなものに対峙する。しかし、これらの就活や高校選び、大学選びの場合は、定理も法則も何もないあやふやな状態のまま、あやふやなものに対峙しなければならない。

 

これがとても難しい。

あやふやなものに対して何かを講ずるのが私は苦手だ。はっきり言えば。

バカだからとか、アホだからとか、頭が弱いからとか、そういった類ではない。おそらく。特性の一つだと思う。抽象的なものの概念を理解することはできる。けれども、骨組みもやり方も十人十色、千差万別であることに対して、まるで雲の中を進むように手探りで何かを行い、考え、予想し、予防線も張った上で、行動・挑戦を行うことができない。この言葉もあっているかがわからないのだが。

 

そして、ストレスにもめっぽう弱くなった。弱くなった、というかは、経年磨耗してきたという方が正しいかもしれない。

これだけ磨耗した心でどう頑張ればいいというのか。難しい。

 

私は、相談するのも苦手だ。何を相談すればいいかわからないからだ。よく、中学や高校の時に、「何がわからないかわからない」という人が多くいたが、まさにその状況だ。何がわからないかわからない、という場合は、知識がなかったり、いわゆる基本と言われる部分がわかっていない人が陥る現象だが、この場合だと、社会に出る上での基礎がわからないことになる。

あながち間違ってはいない。

 

の癖に、厄介なことに、厳しい言葉が返ってくることや、自分が攻撃されるであろうことは予想できるのだ。どうにもならない、本当にいらない能力である。

 

何がわからないんだろう、何が、どうしたら、わかるようになる?と考えることにも疲れる。何十回と発してきた疑問。答えは返ってこない。

 

おなかが痛くなる。そもそも、何にそこまでストレスを感じているのかがわからなくなる。私は、出来事にストレスを感じているのだろうか。それとも、人に対してストレスを抱いているのだろうか。それともその両方?

 

何を重視すればいいのだろうか。この世は難しい。本当に難しい。なぜ泡沫なんだろうか。人が活動している以上、企業も現象も泡沫になってしまうのは仕方のない話ではあるが、それだけに難しい。

 

如何にもこうにもお腹が痛い。風呂に入らなきゃ。書けば落ち着くかと思ったが、そう簡単な話でもなかったようで、辛くなってくる。悲しい。