深夜の吐露 障害者の歌・優しさ

赤ペン先生は雪の宿派です。

こちらでは久々ですね。

 

久々の浮上で悪いのですが、今回も色々吐露していこうと思います。

 

まず、障害系の話について。

先日、私の友人が障害者当事者を題材にした曲を発表しました。

歌われている内容は、作者自身の心の叫びであり、また、障害者本人の心の叫びでありました。

この歌に自分は強い衝撃を受けました。自分が自分に違和感を覚え出した頃から抱いていた思いが多く込められており、まるで自分の歌かと錯覚するほどあまりに当てはまっていたからです。そう思った瞬間、幼い頃からの記憶が一気に思い出されてしまい、私は号泣してしまっていました。

でも、他の当事者の人に聞いてもらうと、あまり心が動かなかったと言われました。曰く、当たり前なんだよ、と受け止めたとのこと。なるほどなと思いました。議論を重ねているうちに、その人は自分の障害を受け入れていることがよくわかりました。なるほど、障害を受容すると余裕が生まれるのか、と思ったのは言うまでもありません。

 

さて、別のお話に移りますが。

 

皆さんは優しさってなんだと思いますか?

私は、他人によく「優しい」と言われます。でも、私は自分を優しいとは思っていません。

なぜなら、私は弱すぎるからです。私は、他の人の悲しみや苦しみを意識的に背負うことができません。むしろ、勝手に背負ってしまった感情で押し潰されることがあります。それを回避するために、私は相手に飴を与えてしまいます。でも、優しいって、飴を与えることではないんだと思うんです。相手のためになる行動を考えて起こすこと、これが優しいってことだと思うのです。

なので私は、利己的に動いてしまうので優しくありません。それでも他人は優しいと言いますが。

 

私は自身の共感性の高さを自覚しています。だからこそ、他人の苦しみや悲しみを背負ういやすいことも、それでつぶれやすいことも知っています。でも、この共感性の高さは優しさじゃなくて、忌み嫌いたい性質なのです。

 

話がだいぶ支離滅裂になっていますが、まあ眠い時間帯なので許してください。

とりあえず、今回の吐露でした。