言語理解と過適応

赤ペン先生は雪の宿派です。

本記事は、備忘録というか、自分用の思考メモとして書きます。

 

先日の知能検査で、「言語理解の相対IQが高い」ことがわかりました。…が、それが自分にどんな影響与えているのか、その時はよくわかっていませんでした。が、最近になって、「こういうことかな」って思うことが出てきたので書きます。

 

 ASDの障害の一つとして、「コミュニケーションの障碍」があると一般的に言われています。これは、相手の言動の意図やその場の空気に気づくことができず、その結果、周囲の人とうまくコミュニケーションが取れないという障碍のことで、ASDの人がうまく人間関係を築けない原因の一つとされています。

 

しかし、私はそれとは逆に、その場の空気や相手の感情を読み取る力にかなり長けている方です。実際、その場の空気を察知して自分の動きを考えることもできますし、相手の感情に合わせてかける言葉を変えようと考えることもできます。つまり、コミュニケーションの障碍の程度が、かなり低いレベルで抑えられているんです。

 

これの原因となっているのが、「過適応」という特性だと考えられます。

過適応とは、周りの人に嫌われないよう、過剰に適応しようとした結果、相手や周囲の人の声のトーンや言動で周囲の人の感情や空気を察知しやすくなったり、相手に過剰に気を使ってしまうような状態になっていることを言います(諸説あり)。

 

なら、タイトルにあげている「言語理解」と「過適応」の間にどんな関係があると考えられるか?

ここからは自分の持論ですが、言語理解の高さは、相手の言葉から受け取る感情への敏感さに大きく影響を与えると考えられます。

例えば、私は相手の言葉選び一つから、今どんな感情かということを理解することができます。声は笑っていても、言葉が泣いていたり、また、一見暗い内容を話しているように見えても、実はとても明るい話をしていたり。テキスト情報だけでも、相手が怒っているのか、泣いているのか、困っているのか、喜んでいるのか、ある程度判別できます。

この能力は、主に小説や物語ものを読むときにとても良い力を発揮します。登場人物の感情がありありと見えるので、一気に感情移入でき、とても楽しく読めます。また、人の話を聞くときでも、相手の感情に没入しやすいので、他の人よりも楽しく聞くことができます。

 

ただ、一つ厄介なのは、相手や周囲の感情・空気を敏感に察知できてしまうために、ひどいストレスにもさらされやすい、というところです。

例えば、複数人で会話をしている時、楽しい空気になるのなら全然いいのですが、よく「あ…空気が悪くなってる気がする」っていうのにもすぐ気づいてしまいます。この時、私はパニック状態に陥ってしまいます。

なぜかというと、私自身、人の負の感情がとても苦手なのですが、特に怒り・悲しみの感情が近くにあると、高確率で「怒声」と「罵倒」、「泣き声」が高確率で存在するからです。

これの何がダメかというと、自分の場合、「突然なる大きな音」が苦手なのです。さらに、言語理解も高いので、罵倒内容に含まれる嫌な感情や思想、思考を全部敏感に感じ取ってしまい、ものすごく苦しく、自分が傷つけられるような感覚がするんです。

 

さらに、ここに過適応が入るとどうなるか?

この状況を「私が」どうにかしなきゃいけない、と強く考えてしまうんです。一種の強迫に近い感情です。でも、どうすればいいかわからない。でも、ほっておくともっと状況は悪くなってしまう…。この混乱の中で、大きくパニックを起こしてしまうんだと気付きました。

 

結局、こういう場でのパニックを起こしてしまうトリガーは、人の言動や声のトーンなのだと。また、それがトリガーになりうる原因は、言語理解の高さと過適応で、言葉や声のトーンで空気や感情を察知してしまい、それをどうにかしなきゃと焦ってしまう結果、パニックを起こしてしまうのだと。

 

この現象の手っ取り早い解決方法は、嫌な空気を察知したら、自分がこういう場から離れてしまうか、もしくは、離れられない場合は自分の近くに、意識をその場から外せるようなものを置いておくというのが有効なのかなと思っています。

 

あとは、抗不安薬などを飲んで、「不安」に対して直接アプローチをするか。

 

どうにしろ、諸刃の剣な能力だなと思うこの頃です。